愉快な物語、面白い歴史、推理小説などのblog

どうせ見るなら・読むなら心から楽しくなる、未来が明るい物話がいい。そして時々コアな話も。そんな話を子どもたちや友人に紹介したい。司馬遼太郎と宮崎駿のファンが、そんなことを思いつつ好きな作品の感想などを述べてます。

あとがき(『竜馬がゆく 立志篇と風雲篇』) (司馬遼太郎が考えたこと2 より)

司馬さんは、自分が最も好きな人物『坂本竜馬』を小説に描き、読者に知らしめた。

この一事をもって、司馬さんが私に与えた影響は計り知れないものがあった。

18、19歳の頃読んで、ご多分にもれず、心が熱くなった。友達にも勧めた。

もちろん、この作品が世に出た昭和38年頃と言う、私が生まれるより随分前の人々の心にも火を灯したであろう。

 

竜馬がゆくは、人生で一度は読むべき本だと、今でも思う。

『立志篇のあとがき』にある、坂本竜馬は、維新史の奇蹟、といわれる。」や、

勝海舟の言葉、薩長連合、大政奉還、あれア、ぜんぶ竜馬が一人でやったことさ」の言葉をもとに、一人の人間の持っている魅力が歴史にどのように参加してゆくものか。そういう竜馬の人間像が、どのようにして出来上がっていき、周りの人はそれをどのように見たか。

これらのご自身の言葉通り、司馬さんは竜馬像をこの作品に結実されておられる。

それでもって、この明るくて未来志向の魅力あふれる日本人の若者を、世界に紹介され、それにより、我々の志にも光を照らしてくださった、と思う。

 

『風雲篇のあとがき』では、竜馬の幕末の青春像を描くと言い切った後で、「稀有な愛嬌と善骨を帯びてこの世に生まれてきた竜馬が、暮夜密かに悪人たろうと念じている姿を的確に捉え、その輝かしい青春が歴史の緊張期に置かれた時、どう言う作用をするものか考えて、次巻の構成を考えていきたい」と仰ってる。そして、私はそれが達成されていることを知っている。

これは、小説を書きたいと思っている者にとっては、教科書のような金言だと思う。

そのようにして、筋を構成するんだなと。

書き方自体は、『私の小説作法』にあるように、男の完結した人生を、物理的に高い視点から眺めて描く、でもイメージできるが、より生々しくそれがわかるのが風雲篇のあとがきだ。

 

『幕末のこと』には、竜馬の周りの女性たちが描かれている。

桂と共に、竜馬はモテたそうだ。高杉のそれが放蕩型、竜馬たちはロマン型と仰っている。

まぁ、それだけで若者には魅力的なのだが。

まず、平井加尾さん。同郷の土佐出身で、山内家と姻戚関係にあった京都三条家に出仕していた。脱藩した竜馬はこの才色兼備の方に恋文を送っている。ちょっと変わった文だったが。兄が心配してこの加尾に手紙を送っていることから、加尾は竜馬と幼なじみで、もしかしたら付いていくほどの仲だったかと思われ、とても羨ましい。小説でのお田鶴様のモデルだろう。

次に、江戸での北辰一刀流の桶町道場の千葉さな子さん。師匠の娘で、この方も免許皆伝の学問もある、美人だったようだ。さな子が竜馬の江戸出立の際に、彼に慕情を打ち明け、桔梗の紋服の片袖をもらい、その後竜馬が倒れた後、明治になっても、「私は坂本竜馬の許嫁でした」と言ってその片袖を大切にされている、というエピソードが一番好きである。

そして、楢崎おりょうさん。京都の寺田屋お登勢さんの養女となり、寺田屋で幕吏の襲撃を受けた際にはいち早く竜馬に注進し、命を救った。そしてその後竜馬と結婚して日本初の新婚旅行を薩摩で行い、海援隊の頃は長崎に住んだ。

さらに、長崎の丸山花街の芸妓、お元さん。竜馬に宴席で得た幕府側の情報を知らせてくれたと言う。

他に、姉の乙女、寺田屋で世話になったお登勢さんもいるし、まぁ竜馬という男は、女性によってその人生が型作られたといっても、過言ではないだろう。

これらの女性との関係も、竜馬の大きな魅力である。

と、ここまで書いてきて、このあたりも竜馬に惹かれる要素なんだろうなぁ、と思った。