愉快な物語、面白い歴史、推理小説などのblog

どうせ見るなら・読むなら心から楽しくなる、未来が明るい物話がいい。そして時々コアな話も。そんな話を子どもたちや友人に紹介したい。司馬遼太郎と宮崎駿のファンが、そんなことを思いつつ好きな作品の感想などを述べてます。

吉田松陰(司馬遼太郎が考えたこと3 より)

吉田松陰

このほぼ最後にあるエッセイが素晴らしい。

この10ページに満たない分量で、明治維新の成立に不可欠でありながら、不可思議な鮮烈な影響力、点火の謎について語っておられる。

間違いなく、松陰と松下村塾の若者たちがいなければ、維新は成立していないだろう。しかし、其の塾の時間は3年に満たない

『松陰はわかりにくい』という書き出しから始まるエッセイだが、この数ページで其の解明を試みておられる。そして、それはほぼ私には成功していると思われた。

 

結局なまの彼自身にあってみなければわからないといい、人格的魅力を其の一つに挙げる。

精神的に透徹していながら、他人には至って親切で優しい。そして行動を重視する陽明学徒。

私がエッセイを読んで感じたことは、次のようなことである。

 

「体は私なり、心は公なり」という。体(私)をこき使って公に殉じる者を大人(立派な男)という。公(心)をこき使って私に殉じる者を小人(つまらない男)という」

「人はどうせ死ぬ。寿命の長短など宇宙の悠久から見ればたかが知れている。結局は「心は公」ということで生命をこき使い、それによって何事かをする以外に人生の意義はない」

ここまで人生の意義を考え切っており、松陰なりに整理は完成していた。

 

しかも、彼に際立っているのは其の他人に優しく親切な一面だろう。

それに加えて、人の資質を正しく見抜き、長所を褒め称え、誰しも自分自身を一角の人物に想い、「やってやるぞ」と心を奮い立たせるような天才と言っていい魅力があった。

それは古来何人かの英雄などが持ち得るものであろうが、松蔭の魅力は「弟子を動かそうとしてそれをしたのではなく、彼自身が真っ先に動こうとし、事実動き、すすんで自ら其の志操と思想に殉じた」ことであった。

 

若い時に司馬さんの作品を読んだ時、雷に打たれたような光を感じたのは、こういう若者の生き様や人生の意義に関することであったなと思い出していた。

年を経た今、改めて心に留めておこうと思った。