司馬さんの小説を読んで、「良い世の中にしたい」と熱く思った学生は、長くサラリーマンであるつもりはなかったのだが、結局20年ほど俸禄生活者のままである。
『サラリーマンというもの』を考えたエッセイに、『この本を読んで下さる方へ』と『あるサラリーマン記者』がある。
これらは、元々司馬さんが本名で書かれた『名言随筆サラリーマン』の前書きと後書きだったが、その中で「(サラリーマンは)学者、技術家、芸術家などの職業感覚からみれば、まことにオカシナ職業」と紹介されていた。そして、それは今も似たようなものかもしれない、と思う。
尤も、近年サラリーマンにも「スペシャリスト志向」があり、会社によろうが、会計や法務、営業など、希望して長く特定の職を務めて専門家に近づくことも可能で、多少の移り変わりはあるだろう。
ただ司馬さんは、時間軸を長く捉え、サラリーマンの源流を江戸時代のサムライに求めた。
これには、少し驚いたと同時に納得してしまった。
サムライは、戦闘技術者でなくなった後、平凡な俸禄生活者に甘んじたと。
長い時間軸で考えれば、イメージに多少の変化はあれ、あまり変わっていないのではないか。
今、新型コロナウィルス(COVID-19)により、今後生活がどうなるかわからない状況の中で、自分でも「職業」と言える要素は何か、考えている。
さすがにこれからはサラリーマンも大きく変わり減ってくかも、と思えるからであるが、一方で、江戸期から幕末、明治大正昭和平成と、大きな時代の変化を超えても生き残ったこのなんとも言えない職業は、意外にもしぶとく生き延びるかもしれない、とも思うのである。