『竜馬がゆく』が完結した昭和41年頃だけに、関連のエッセイが多い。
作品を愛する私は、作者が紐解く舞台裏、感想について、この巻では多く読めたことに感謝している。願わくば、この作品は時代の空気感と共に読みたかった。
『竜馬の死』は、物語が竜馬の死とともに終わった為、何人かのその後日談が語られている。
まず、暗殺者の告白から始まる。犯人は現在まで確定されていないが、おそらくは見廻組とされている。しかし、当時は新撰組が疑われていたことから、海援隊や陸援隊、土州側が敵討ちに動く様が描かれ、臨場感がある。
また、幕府側の最上層部である将軍慶喜や若年寄格の永井が竜馬を非戦派と認識し、暗殺禁止令を出したが同時進行的に起こってしまったという残念な場面が描かれ、歴史とは往々にしてこういうものだという、筆者の冷徹な視線も感じた。
次に、おりょう・乙女・千葉さな子と中岡のその後が語られている。おりょうは数奇な運命を辿ったこと、乙女のお陰で竜馬の手紙が多く保存されていたこと(学生時代に図書館で読んだが、竜馬がゆくで見たことがあり、さらに感動した)、さな子が維新後は華族女学校の世話をしつつ、竜馬の許嫁であったことを生涯心に大事にしていた様子、そして中岡は自分も死ぬ瀬戸際にありながら襲撃犯や時勢を批評し続けたことが語られていた。それを読みながら、みんな作中のままであったのだなぁと思いつつ、特に女性陣は幸せであってほしかった。
その後は、岩倉・大久保がこの事件を契機に倒幕を急いだこと、海援隊のいろは丸の始末から岩崎弥太郎の三菱商会が起こったこと、日露戦争前に昭憲皇太后が夢に竜馬を見たことなどが語られ、竜馬が株式会社の最初の発案者であり、近代商社の祖とも言えること、同時に日本海軍の祖とも言えることが解説されており、すごい人物だったんだなぁと思わず膝を打った。
最後は、竜馬が「維新後の姿を具体的に構想していたこと」が述べられていた。特に、船中八策から五箇条の御誓文が生まれた話が説明されており、これこそ竜馬が近代日本に与えた最大にして具体的な素晴らしい成果ではないかと考えた。
そして締めは、由利公正など明治の生き残りの顕官が、維新前の竜馬や風雪のことを暮夜回顧したのでは、という情景が描かれていた。
このくだりを読んだ時、「この繁栄した今の世の中で竜馬たち時代を切り拓いた先人の若者を小説の読後に振返ったとき、感慨を覚えた」ので、我々の姿にも重なるように思われた。
そして、この一編を読んだ時、長い小説の「感動の余韻を鎮める何か」を求めるファンにとって、この少し異例に長い文章は、貴重であっただろうと感じた。
『坂本竜馬のこと』は、たった4頁の文章だが、「維新史の奇跡と呼ばれた竜馬の魅力」がここに凝縮されていると思われる。
竜馬が「あの先が見えない幕末の動乱時」に、「志士の中で尊王攘夷の思想を持ちつつ倒幕し、天皇家を再興してその基に国に近代的統一をもたらし、議会制度まで献策した」かと思えば、その横では「海運業を興し、株式会社の構想を考え、世界を相手の貿易を実現しよう」としている。
竜馬のおもしろさは、司馬さん曰く、「そのゆたかな計画性にあるといえる」とのこと。
倒幕後の姿、そして自分一代についても鮮明すぎる像をもっていた。
そして、倒幕回天の運動と海運、海軍の実務習得とを並行していた。
”一つの掌の中で縄をなうように”、という表現がまさにわかりやすかった。
特にあの、大政奉還実現後の主要メンバーの中での会談で、「役人はいやだ(革命政府の大官などにはならない)」と明言し、驚いた西郷に「では何をするのだ」と問われて、「世界の海援隊でもやりますかいのう」と言って、周囲を唖然とさせたシーン。
自分の海好きの志望を遂げるために国家まで改変したという。なんてカッコイイんだ。
自分も、その時の竜馬を手を打って快哉した陸奥宗光と同じ気持ちだった。
司馬さんは、この一言を念頭に『竜馬がゆく』を書き進めたそうだ。
そして、この辺りの消息が、竜馬が仕事をなし得た秘訣とされている。
「竜馬は天が日本史上最大の混乱をまとめるために、さしくだした若者のように思われる」と、言われてる部分を読んだ時、今も竜馬のような若者を希望している自分と、自分にもまだ何がしか出来るのではないかという希望を同時に感じたのである。