愉快な物語、面白い歴史、推理小説などのblog

どうせ見るなら・読むなら心から楽しくなる、未来が明るい物話がいい。そして時々コアな話も。そんな話を子どもたちや友人に紹介したい。司馬遼太郎と宮崎駿のファンが、そんなことを思いつつ好きな作品の感想などを述べてます。

あとがき(『竜馬がゆく 狂瀾篇』)、ふるさと、薩摩ー維新こぼれ話 (司馬遼太郎が考えたこと3 より)

竜馬にとっての故郷、土佐。そして司馬さんにとっての故郷のひとつ、大和。それから西郷や大久保の故郷、薩摩。

この巻は司馬さんが国民的作家に駆け上っていく契機となる時代のエッセイだけに、筆致が更に躍動して来ており、一読者・一ファンとして、とても楽しい。

その中から、故郷をを感じたのが標記の作品である。

 

あとがき(『竜馬がゆく 狂瀾篇)』は、お田鶴さまの関係者の子孫の方の話から始まる。

その方の祖母が小さい頃に竜馬を実際に見たと言うことや、直接声をかけてもらったことなど個人的な経験談があり、息遣いまでが蘇るようで、身近に感じる。

そこから土佐にて取材した、「偽神退治」と「仇討ち応援」の2つの話が紹介されている。

竜馬は地元でも愛されたのであろう。

少年の頃の話が今もその故郷に残っていると言うのは、やはり良いものだと思う。

 

『ふるさと』では、司馬さんが酒豪として雑誌に掲載され、番付形式であったために出身地が付され、「兵庫」となっていたことから話が始まる。

司馬さんは、ご先祖が居られたこともあって、よく播州の話題が出る。

戦国時代の別所氏の見事な篭城戦とその美的感覚を時々描かれるのでやぶさかではないだろうが、正確を期すためか「多少の兵庫県人」と慎ましい表現を取られている。

司馬さんが大阪の方であることは明らかであるし、地元愛のこもったエッセイをよく見るが、ここでもう一つの出身地としてうれしそうに答えておられるのが、「国のまほろば、美し大和」である奈良県である。お母さんのご実家が葛城にあり、幼少期と青年期までの一時期を過ごしたことから、心的風景としてはその竹内村が「ふる里」であると。

私も、幼少期は奈良で過ごしたため、この話を読んでうれしく感じ、そののどかな風景を心に想い浮かべた。

故郷に抱くイメージは人それぞれであろうが、「ふるさとは遠きにありて思うもの」

ふと、昔聞いたことのある、室生犀星の一編の詩を口ずさんでいた。

 

『薩摩ー維新こぼれ話』では、時代の転換期の不思議な風景として、ある地方に人物が茸のように群生することについて、述べておられる。

確かに、ここの主題である、甲突川畔の下加治屋町の西郷と大久保を中心とする若者たちだけでなく、戦国期の信長、秀吉、家康周辺、そしてこの稿では述べられていないが、長州萩の松下村塾出身者の高杉久坂、そして周辺の桂などもそうであろう。

考えるに、優れた人物の周辺も同時に成長するからか、幼少期、青年期からの関係性が重要なのか、歴史的には複数同時期にそういう群れはあり、たまたま生き残った連中を未来から眺めるからそう感じるのか。

おそらく、そのいずれもが一部の真実を言い当てているように自身でも思うが、それらを考えながら、また感じながら歴史小説をよむのは、非常に楽しい娯楽であると思われる。